めだかの学校を廃校にした話

ここ数年、この時期の私はとても忙しかった。

メダカの産卵シーズンだからだ。元気なメダカは毎日でも卵を産んでくれる。仕事から帰宅後に暗くなるまで、夕飯の支度そっちのけで夢中になって採卵していた。

産卵時期は4月~10月頃とまぁまぁ長いけれど、5月~6月頃に孵化したメダカが育ちやすく、秋口までには冬越しの心配がない大きさに成長する。中でも食いしん坊な欲張りメダカは、その年の内に産卵できるほど大きくなる。

冬には水槽に分厚い氷が張るほど気温が下がる土地に住んでいたため、産卵シーズンが終わる頃までに大きく育てる事が重要だった。つまり、今の時期が忙しさのピーク。

元々は夫が飼い出したメダカ。職場の『メダカ博士』から数種類のレアメダカを貰ってきたのが始まりだった。しばらくしてお世話を放棄した夫は、私をめだかの学校の校長に任命し、自分はたまに水槽を掃除する用務員に。

「バッチコーイ!」やる気満々の校長→私。

日々増え続けるメダカ。

メダカは口に入るサイズなら何でも食べる雑食性。孵化したメダカを食べてしまうので、ある程度サイズ毎に分けて管理。保育園1、2、3、幼稚園、小学校1、2、3…。

どんどん増えるクラス→100均プラスチック水槽。

そして、ある程度大きくなったら社会に放り込む。

せっかくのレアメダカも混ぜこぜに。品種などにこだわっていたら、限られたスペースでは飼育できない。結果、ラメラメのメダカや錦鯉みたいなメダカの数は減り、先祖返りというやつで普通のメダカばかりが産まれる事態になってしまったんだけれども…。メダカ屋じゃないんだから、ね。

校長という立場が私を育てたのか、いつしかメダカを増やすことが特技となっていた私。

増えたメダカは自分の職場に持って行ったり、欲しい人にあげたり。エサやりが大好きな近所の子供達にも大人気だった。きっと私は「メダカおばさん」とでも呼ばれていただろう。※面と向かって呼ばれた事はない。

 

そんなこんなで、メダカを増やして減らしてを繰り返し、いつもの春が来ると思っていたら転勤する事に。ちょっと嫌な予感がしていて全盛期よりも数を減らしていたけれど、そもそも普通の引っ越し業者は水槽の運搬をしてくれない。専門業者に依頼したら、びっくりするほどお金がかかる。簡単には連れて行けないのだ。室内には熱帯魚水槽もあったりと、転勤族の自覚が足りない転勤族。

苦渋の決断により、めだかの学校は廃校になる事に。

メダカや熱帯魚をそこら辺の川や用水路に放してはいけません。

メダカ、配りまくりました。

残ったメダカと熱帯魚は夫の職場の水槽へお引越し。

最後はバタバタとお別れしちゃったけど、みんな元気にしてるかな。

たかがメダカ、されどメダカ。針子(メダカの赤ちゃん)の可愛さを思い出す。

またいつの日か開校したい、めだかの学校。